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獣医学専攻集談会

死体に尋ねる、五億年と一万年

遠藤 秀紀 教授 東京大学総合研究博物館

日時:2021 年 2 月 19 日(金)16:00〜18:00

Zoom での講演会

いつのころから、命を生かしているからだの中身を知りたいと思うようになった。当然、話し相手 の死体は、数分前まで呼吸をしたり心臓を動かしたりしていたものたちだ。命あった死体を石ころや 瀬戸物と同列には捉えない私だが、放っておくと困ったことに無口なのである。だから、執着心をも って、今日も私は死体に尋ねる。

一方、触知ということばがある。字の通り、触って知る、ということだ。私の仕事はあえていえば、 死体相手に、触って知ることである。歴史学者や考古学者が遺跡を掘り古刹を訪ね古文書を解読する ように、私は死体に指先で触る。もちろん眼で覗きこむことも少なくないが、多くの場合、発見を知 る最初の武器は指だ。運が良ければ、その指が人類が気づいていない事実を初めてつかむ。定量性が 手法にまで及んで、生身の人間が発見の場に不在なのが現代科学の常識だが、この学で最初に発見を 知るのは、私の五感だ。

実験や分析の手法でけっして再現できない時間軸に、私は比較と総合とで対峙している。触知され るのは「事実」であるとともに、「時間」だ。まずは五億年を触知しよう。アリクイやパンダやキリ ンやアザラシに登場してもらおうか。ついでに、ヒトも対象として忘れないことにしたい。ざっと五 億年が、進化が見渡す時間である。他方、家畜家禽が気になって仕方ない私でもある。家畜の時間は、 イヌだけもう少し古いかもしれないが、当座一万年としておこう。一万年の触知の相手は、名も無い インドシナのニワトリだったり、日本人には馴染みのない欧州の古いウシだったりする。五億年の方 は自然淘汰の帰結として、からだの無理矢理の適応史を見せてくれる。他方、一万年が見せるのは、 人間の動機や欲を映す鏡としてのからだだろうか。

今日は、研究でいうところの、結果をなるべく放置してお喋りしてみたいと思う。学者遠藤がのた うちまわる苦悩の世界が、できれば若い人々の心に何か火花を散らしてくれたら幸いに思う。そうい えば、若者が集う獣医学は、ここのところ真理の探究を忘れてしまったように見える。残念だ。博物 学の歴史の希薄なこの国で、獣医学は、畜産学や林学や水産学と並んで Zoology や Botany の肩代わ りをしてきたのだが、そんな歴史に意識を深めなかった私たちは、さっさと Natural History を置き 忘れ、獣医学のかなりの部分を、市場原理経済かそれを支える実学技術か潔癖症気味のルールへの迎 合に委ねたのだろう。真理を追い、生命を論じ、哲学のために闘うよりも、洒落て整頓された安楽の 日々を求めたのだろう。資格教育だかカリキュラムだかを見ていると、まさにそれが見える。残念だ。 探究無きところに知も学も存在しない。そんなこともちょっと憂鬱な、2021 年である。

連絡先:獣医外科学教室
秋吉秀保(内線 3207) Email:akiyoshi@vet.osakafu-u.ac.jp