研友会の歴史

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創立50周年を迎えて

(H15年記念誌転載)

大阪府立大臨床研友会
浦東信夫(故名誉会長)

会員の先生方、創立50周年を迎えて本当におめでとうございます。私個人としても、最高の喜びであります。一口に50年と云っても研究グループとしてこれだけ継続できたのは、当初からの同窓の諸先輩や後輩会員の並々ならぬ御支援御協力の賜物であります。この度、幹事の先生からお祝いの言葉をと依頼され、私としては創立35周年記念誌に投稿してあるので今回は次の世代の先生にお願いしてはとお断りしたのですが、幹事の先生から是非にと強引に申し込まれてお受けすることになりました。と云っても35周年から15年経っておりますので若い先生方は詳しいことは全くご存じない筈です。そこで、研友会の生い立ちから知ってもらうために35周年記念誌に掲載した内容とほとんど重複しますが、ご了承ください。尚、掲載を依頼されたのが4月23日で私がガン(胃・肺-進行性)の告知を受けたのが4月4日ですので、かなり精神的、肉体的に衝撃を受けているときだったので、文章、字句のなかには或る程度の誤りがあるかもしれませんがお許しください。

そもそも、研友会の前身は昭和23年から大阪市開業の辻栄重先生、高瀬一行先生、奥村弘先生の3先輩により、年3-4回の臨床雑談会を持ったのが始まりで、私は昭和25年4月1日開業でその年の暮れに辻先生からお誘いを受けて仲間に入り、加えてお互いの恩師である岩田千虎先生、続いて河内松原の西田梅雄先生、神戸市の佐藤啓一先生、東住吉区の小林与六先生が入会されて、計8名で各々の病院を持ちまわり、臨床雑談会を開いていたが、昭和20年代後半に入り小動物臨床獣医学も急速な発展が見られるようになり、「もっと衆知を集めて臨床獣医学向上の為に大前進すべし」ということで、近畿一円の小動物臨床に従事する同窓諸氏に呼びかけて昭和28年の末に大阪ミナミの「関口」で発会式を行った。出席者18名であった。

昭和20年代から30年代にかけて発表、討論した内容の一部を紹介すると、

☆昭和23-24年頃の報告例として硬蹠症や、犬の妊娠前半期に高単位卵胞ホルモンを投与することにより流産せしめ得る原理を推論し一同大いに実験実用したものである。

☆昭和25年には狂犬病は未だ猖獗を極めていた頃、各種文献を渉猟の結果、狂犬病には発症前の潜伏期間中に既に全毒唾液排泄例の報告があること、その最長期間の報告例は14日であることを知り、咬傷犬に対する真に的確な狂犬病の鑑定を行うには咬傷後14日間以上の監視期間が必要であることに気付き、以後私達は直ちに実行した。

☆昭和29年に子宮蓄膿症に対する討論があり、当時は解明されない病気の一つであった。原因、症状、治療等各種データが整理され、以後我々の治療上にどれほど役立つか計り知れないものがある。同じ昭和29年に急性胃拡張、胃捻転についても当初不明であったが乏しい文献を渉猟して初めて原因症状治療法を確立したものであった。

☆昭和30年代にはジエチルカルバマジンが体内移行中のフィラリア仔虫を殺滅することに着眼して胎盤移行中の回虫仔虫を殺滅し得るであろうとの推論のもとに犬回虫の胎盤感染予防に著効を認めた。またその頃漸く小動物臨床にホルモン製剤の応用が盛んになりつつあり、その複雑なホルモンの相互作用を会員間で検討し易くするために、ホルモン作用の模式図を製作して会員に配布したのも他に類を見ない先駆的な業績であった。

以上に討論、討議、発表の一部内容を紹介したが、まだまだ数限りない発表、討論があった事は当然である。当時は戦後間もなく世相も混乱し診療対象の小動物も少なく、これといった専門書もなく、臨床報告例も少なく、診療機材にも恵まれず、またメンバー自体診療経験も浅く、当然現在の様に整ったシステム、豪華な陣容豊富な業務内容に比べようもなく、ただ特定の同窓有志数名が集って極めて原始的な暗中模索的な論題を掲げて発表、討論したに過ぎなかった。

当初会場は各自宅の持ち回りから始まり、天王寺動物園の2階会議室が主なる会場となり、当時大先輩の寺内園長、飼育係長の和田先生(後の園長)、中川飼育課長(後の園長)の絶大なる御協力があったことを忘れてはならない。そして、年々入会希望者が増えるに従い動物園の会議室では手狭となり、府立大学の家畜病院を主なる会場に各種ホテルの会議室、薬剤メーカーの会議室に於いて開催することになる。現在は衆知の如く研究会場は殆ど大学の学術交流会館が主会場となっている。

昭和38年からは隔月に研究会を行うようになり、研究発表や文献の抄読会、外科手術の実習や各専門分野の権威者を講師としてお迎えして講演会が開催されることになった。そして会員の増加とともに勢い講演会形式の研究会が多くなる形態に変貌していくことになるが、あくまでも同窓の集まりが本会の根源で勉学と懇親を目的として「血は水よりも濃いし」で、研究会に出席して何でも発表できる、何でも質問できる隔意のない雰囲気が作られたことが本研究会の魅力の一つであり、今日の研究会発展の所以と云える。

研究会の名称も雑談会から始まり、駄弁郎会、勝山臨床獣医学会、浪速大学獣医臨床研究会と続き、今日の大阪府立大学農学部獣医臨床研友会(略して府大臨床研友会)と変遷され、初代会長は故 小林与六先生、第2代 故 永田正弘先生、第3代 浦東信夫、第4代 鶴野整傳先生、第5代 是枝哲世先生、第6代 北野威和雄先生、第7代 東田和弘先生、第8代 清水一郎先生、第9代 國宗義雄先生、第10代 増田晃先生(現会長)と続いている。

顧みれば昭和23年以降50余年に及ぶ長年月の間に積み重ねられた数々の業績は時代の尖端を歩む重要なものばかりである。当初3名から出発した我が研究会は平成15年4月末現在で会員数224名であり、まさに隔世の感がある。この伝統ある研友会をいつ何時までも守り育てていって欲しいと研友会創始者で生存者は私一人になった今日、殊の外痛切に願うものである。

改めて創立50周年おめでとう!!